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日本人初メジャーリーガー
村上雅則さん インタビュー2014


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村上雅則さん インタビュー
〈マッシー・村上〉


略歴 1962年南海ホークスと契約、翌年6月にプロデビュー。1964年、ホークスよりフレズノジャイアンツに野球交換留学生として渡米。チーム内ではマッシー・村上という愛称で親しまれ、名投手として名を馳せた。1966年より日本のプロ野球に復帰し、1982年まで日本の複数のチームでプレー。1983年に球界を引退した後、SFジャイアンツのスプリングキャンプに参加。 帰国後複数のチームでピッチングコーチを歴任し、メジャーリーグのテレビ解説者をする傍ら、後進の育成や啓蒙活動を精力的に行っている。

1.野球をはじめられたのはいつ頃ですか?
戦後物の無い時代に育ったので、遊ぶことは野球かチャンバラごっこでした。小学校に入ったころ仲間と山から竹を切ってきてバットにし、ボールは軟式テニスのボールで三角ベースの野球をして遊びました。4年生になった時父に頼みソフトボールを始めましたが、父は怖い人だったので「グラブを買って」とは言えず、父の出張の前夜枕元に「グラブが欲しいので買って下さい」と、置手紙をしたのを覚えています。

2.その頃から大の野球少年だったのですか?
父は私を将来は外科医にさせたかったので、中学に入ると体力をつける為柔道部に入部させられました。しかし性に合わず三か月で退部しました。2年の9月に父に内緒で野球部に入部しましたが後日ばれたので当時の監督が何とか父を説得して了承をもらいました。その後は思う存分練習に打ち込む事が出来、3年生の夏には市の大会で初優勝し県大会に出場しました。高校は名門校法政二高に入学し1961年春の選抜甲子園大会で補欠ながら全国優勝をしました。私は対平安高校戦に一度だけ投げさせてもらいました。

3.渡米を決意したきったけは?
本当はプロに入る気など全然なく、大学で4年間野球をするつもりでした。しかし当時南海ホークスの鶴岡監督が家に来て、説得され断りましたが、帰り際に「村上君、南海に入ったらアメリカに野球留学させてやるよ」と言われ、その途端気が変わりプロ入りを決意しました。当時アメリカは日本人にとっては夢の国でしたから、行かせてもらえるのはとても魅力的でした。

4.メジャー昇格の時のことは今でも覚えていますか?
1964年フレズノにいた8月、メジャーに上がると言われ31日にはニューヨークへ飛び立ちました。しかし空港に着いた時はジャイアンツの関係者は誰もおらず、一人で覚えたての英語を使いながらホテルに向かったのを覚えています。翌日9月1日昼選手皆でワールドフェアーを見に行きメッツのシエイスタジアムに入りました。4対0で負けている8回表に、登板のチャンスが回ってきました。「Now pitching San Francisco Giants No.10 Masanori Murakami」放送があり、私はリラックスする為、当時流行っていた坂本九の「すき焼きソング」をハミングしながらマウンドに歩いて行きました。キャッチャーとサインの確認をして右打者五番のチャーリー・スミスと対戦しました。初球はアウトローへ完璧なストライクを投げ結局三振に打ち取りました。1回、1安打、2三振を取り、無事投げきったことは今でも鮮明に覚えています。

5.当時、一番大変だったことは?
最初に困ったのは日本と違い毎月給料が出なかったこと。アメリカはシーズン給とは大分後から知りました。さらにまだ言葉も十分に話せなかったので心寂しくなりました。キャンプ中通訳がいれば良かったのですが、今思うと自分の為には良かったのかなと思います。チームの選手とはふざけ合いながらコミュニケーションが増えるようになりましたし、当時の監督も「ジャップと呼んではならない」という事前注意をチームにしていたりと、配慮して下さりました。とても暖かく迎え入れてくれたと思います。

6.いまでで一番印象に残っている出来事は?
マイナー時代フレズノで大変な時期にフレズノ在住の佐伯さんという方がお宅に下宿させてくれたことは今でも心より感謝しています。日系人の方々は第二次大戦から非常に苦労されてきたと思います。ですから佐伯さんも私の気持ちが分かってくれたのでしょう。息子のように接してくれました。あとはメジャーに昇格した9月1日初登板の時ですね。

7.日本のチームとの違いはありますか?
違いはまずパワーですね。打球の飛距離や肩の強さ。しかし最近メジャーで活躍している日本人選手もとても頑張っていると思います。パワーで勝てない分、技術を磨いているので。チームとしては日本の練習時間が長いこと、メジャーは自主性を重んじて競争させていますね。

8.サンンフランシスコに住む日本人の方々に一言お願いします。
当時私の活躍をみて戦時中辛い思いしてきた日系の方々が心を癒されたと言ってくれました。 心から応援してくれたことは今でも忘れていません。心より感謝しています。その後もずっとアメリカでプレーしたいと願っていましたが契約上様々なことがあり泣く泣く日本に帰国しました。私の講演の最後にいつも言う言葉があります。「わが人生悔いあり」です。せっかくのチャンスを活かせませんでした。しかし日本の監督との約束を守った事は誇りに思います。 この度50周年を共に祝ってくれますこと本当にありがたく、心より御礼申し上げます。



村上雅則さん
日本人初のメジャーリーガーとしてSFジャイアンツに入団。近年メジャーに進出する選手達にとっての先駆けとなった人物。今年は入団から50周年にあたり、この記念日を盛大に祝うため5月15日AT&Tパークにて"The Japanese Heritage Night Baseball Game"を初めとする様々なイベントが開催される。また、5月18日にはマッシー・村上氏を祝したチャリティ・ゴルフトーナメント"Mashi Murakami Charity Golf Tournament"が行われる。個人参加は$150となる。

場所:Eagle Vines Vineyards & Golf Club in Napa Valley
日時:2014年5月18(日)
正午12:00 ショットガンスタート
エントリーフォーム/お問合せ
Fntanaka@gmail.com
Fred田中まで



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